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2009/03/16

コメント

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Joe

あな懐かしき文化祭のザラ紙パンフ!
完成作を見ないまま、当時公開されていた映画の題名を組み入れた文章を書きましたが、映画の内容とも当たらずも遠からず、になってましたね。

ha

「現代の映画の常識を打ち破るニューシネマ」,「Wの悲劇」,「愛情物語」,「メイン・テーマ」,『幻の湖』(←なぜかこのタイトルだけ袋かぎかっこ),「略奪作戦」,「服を脱ぐ」……ってことは、やはりJoeさんは橋本忍ファンだったんですね(あらためて読んでみてそう思ったんですが)。
お・し・え・て!?

ha

いよいよ、やりまっせ!

シネ・ドライヴ2009 特別編 〜 常本琢招監督特集 〜  

大阪・PLANET Studyo Plus One上映室にて


● 4月11日(土)三つのデビュー作篇

14:00〜『制服本番 おしえて!』1990年(35mm・57min)
15:00〜 常本琢招監督トーク1
16:00〜『にっぽにーず・がーる』1984年(8mm・57min)
    『女高生 有希子の日記』1986年(8mm・12min)
17:15〜 常本琢招監督トーク2
18:00〜『蜘蛛の国の女王』   2009年(DV・54min)
19:00〜 常本琢招監督トーク3
20:00〜『制服本番 おしえて!』1990年(35mm・57min)

なんと、原田摂子(原摂子)特集!!

大阪来る?

by 常本琢招

ha

上映会を企画してくれた、戸田さんという方が、MIXIのコミュニティ(承認制)に書いてくれた、ありがたい文章が以下。
K君にも転送してくれる??

・・・・
〜 常本琢招監督のVオリの時代 其の二 〜


どうも、常本です。好きな女優は美野真琴!!常本琢招監督と「映画侠区」は不可思議な縁に導かれてこの度、巡り逢うこととなりました。それは「映画の紙礫」のマキノ先生特集号が「マキノ先生生誕百年記念手拭」と共に、山田宏一さんによって同時に紹介されたことに端を発しているのですが、今はなき仙台の「映画の情報誌 き〜の」第94号(1984年2月1日発行)で「西村潔の新作位は仙台でもやれよ。」と書いておられるのはほとんど今の私達と変わらないというこの事実!!!それによる共闘意識の芽生えが実は結び付けた縁ではないか?と私は思っております。常本監督をお迎えして、今宵も宴会ですぞ!
4649!!!

by 常本琢招

ha

【共通言語、それは「映画語」! 「映画語」を語りさえすれ
ば、「映画」は始まり、 「映画」は終わらない!!!】

常本琢招監督は1963年宮城県仙台生まれ。例えば1984年には424本の映画をご覧になっておられますからこれまでに大変な数の映画を鑑賞して来られました。ここで「映画侠区」のいつもの解説パターンとしては、「個人的な映画史」の「映画誌」を記述することに興味が移っていくわけですが、学生時代には「映画の情報誌 き〜の」での記事執筆、「のんき館」での様々な作品の自主上映、そして85年の「第8回ぴあフィルム・フェスティバル」入選作品である(応募総数760本中14本)8mm自主映画『にっぽにーず・がーる(写真 84年)』を含む女子高三部『女高生 夕希子の日記(86年)』『じょしこう騎兵隊だ!(88年 残念ながらプリント喪失)』等の制作によって、仙台コネクションとも言えるような人的交流が行われ、その力は1989年9月にマキノ雅裕監督を仙台に極秘にお招きして上映会を開催し、それ以前以後の交流をまとめた「マキノ先生 とある日のおしゃべり」の自費出版を可能にし、特にその中心的メンバーの鈴木法印伸昌さん、クマガイコウキ監督らとは強い絆で結ばれ、昨年は「マキノ先生生誕百年記念手拭」を全国のマキノ先生ファンに届けるというようなことまで可能にしているわけです(「第8回ぴあフィルム・フェスティバル」で回顧上映「映画渡世・マキノ雅裕」が開催されたという必然の偶然が結んだ縁です)。その交流の根底にあるのは「行動力」であることはまずは言うまでもなく、『翔んだカップル』に衝撃を受け、相米慎二監督に手紙を認め、『セーラー服と機関銃』の現場を5日におよび見学するというような伝説的なこともなさっていますが、映画が集団で作るものである以上、そうした人的交流の重要さというのは言うまでもないことであって、「映画侠区」はそのような「映画史」を「映画誌」として書きたいものなのですが、ではそうした人的交流は「行動力」さえあれば生まれるものなのか?と申しますと、そのようなことは絶対になく、要するに「映画が好き?」の設問に「大好き!」と答えて、それが嘘ではないと確信出来るか否かなのであって、自ら「KIYOSISUTO」と名乗るほどの西村潔監督のファンであるとか、美野真琴ファンとして「マコちゃん倶楽部会長・20歳」と名乗ったりするユーモアの内に、互いに通じ合う「映画語」を見出すが故に可能となることなのでして、「行動力」だけの話では全くないわけです。「映画語」に裏打された「行動力」! 常本監督の「映画語」は1990年4月の商業デビュー作、『制服本番 おしえて!』における、主題歌!「みなしごキッチン」の作詞に稲川方人(「償われた者の伝記のために」「2000光年のコノテーション」等)を迎えるというような形で結実して行きますが、その作曲がクマガイコウキ監督であったということ、このことが常本監督の「個人的な映画史」の真実の姿を教えてくれていると思われます。その常本琢招監督の、今回は「Vオリ」という枠の中で撮っていかれた常本監督の1994年〜2001年に注目します(※Vオリ時代『成田アキラのテレクラ稼業(1994)』『人妻玲子 調教の軌跡(1995)』『いたずらロリータ(1995)』『のぞき屋稼業7(1995)』『黒い下着の女教師(1996)』『投稿写真白書 顔だけは隠して(1996)』『秘蜜 教えてあげる(1996)』『新任女医 淫らな診察室(1997)』『健康師ダン(1998)』『恋愛家庭教師 未熟な抱擁(2000)』『恋愛ピアノ教師 月光の戯れ(2001)』)。この時代は脚本家の違いによって、前半を「井川耕一郎時代」、後半を「藤田一朗時代」と呼ぶことが出来るかもしれません。

by 常本琢招
※「〜 常本琢招監督のVオリの時代 其の二 〜」と【共通言語、それは「映画語」! 「映画語」を語りさえすれば、「映画」は始まり、 「映画」は終わらない!!!】 は、上映会を企画した「映画侠区」の戸田光啓氏の文章です。


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