新しい住まいに移って10日間ほどになる。
エアコンは古くて使えないから暑くてかなわないし、水回りに修繕が必要だったり、仏間の押し入れのなかからダンボールいっぱいのお線香の山が出てきたり、父親の書斎だった部屋から薬の缶に入った10数本の謎の映像テープ(エロいのも混じってるかもしれない!?)が出没されたりしているが、家そのものは頑丈で、階段やフローリングがギシギシ鳴ることはなく、今回の地震の揺れ具合も悪い感じはないな、という状態。
建築設計をした会社の担当者からは「手入れ次第では50年持つ家です」といわれていたそうで、「なるほどねぇ」と感心する機会は多い。
この家は、両親が40代後半から50代頭にかけて建てた。だから、その時代の流行や、その年齢の親たちの好みや失敗があちこちに見られる。
自分なら設置しないだろうなぁという可愛い出窓(埃が溜まってしょうがない)、押しても引いても外すことができない調味料の回転トレー(掃除が実に厄介)、人ひとりの耐荷重しかなさそうなミニミニベランダ(窓拭きをしていたら泥棒避けのロックに自ら引っかかってしまって台風のなか呆然とした)、脚立がないと手が届かない収納スペース(いったい何を仕舞ったらいいのだろう?と思って見てみたら、何か収納してあるようだ)など、中古の住まいならではの面白さや不可解さがある。
わたしがこの家に住もうと思った理由は幾つかあるのだが、最近また解ったのは、自分の年齢も関係しているのだな、ということ。
ぐるりを庭(といっても猫の額のような広さ)で囲まれているから雑草抜きはもちろん、植木や草花を手入れしていかなくてはならない。植物を育てるのは好きだけど、庭を維持するのはそれなりの体力と時間がいる。
ヘヴィスモーカーだった父のおかげで壁の塗り替えが必要で、「この部屋は何色にしたらいいのだろう?」と考えて(色を選ぶ時間は楽しいが)、人体に害の少ないペンキを探して手に入れ、何日もかけて刷毛でペイントしていくのは、それなりのパワーがいる作業だ。
今の自分の年齢だから、こういうあれやこれや住まいについてのエネルギーを使えるわけです。元気がないと(もちろん、年をとって身動きが鈍くなってきたら)、若い時に建てた一軒家を維持するのはなかなかツラいことなんじゃないかな。
住まいは自らをあらわす器だと知っていたから、これまで手を出さなかったけど、豊かな暮らしとは、昼間に働く気持ち良い空間や夜にからだとこころを休めるためのやさしいスペースがあってのことだと思う。
大量のゴミ出しやら片づけやら手入れやらご近所づきあいやらはわたしを困らせるが、とにかく面白くやってみるつもりです。
写真はお手入れ前の図書室(元は親父の書斎)
さてさて、どうなることやら!?

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